邦島國

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邦島國
くにしまこく
Empire of Norcea
邦島の 国旗
国旗
国の標語:消えることない一筋の灯火
国歌:灯火,太平洋讃歌(準国歌)
公用語 日本語,龍羅諸語(死語)
首都 新都市(邦島府)
最大の都市 船渡市(船渡縣)
政府
皇帝 宝文皇帝
首相 岩崎 吉方
副首相岩崎 義一
面積
総計 43,446km²
(世界130位)
水面積率 11.7%
人口
総計 796万5672人
人口密度 183.3人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計 8兆3586億円
GDP(MER)
合計 2510億ドル
GDP (PPP)
合計 4048億ドル(30位
1人あたり 5万0819ドル
体制の変化
建国7世紀ごろ
邦島帝國成立1513年
大洋帝國成立1848年10月10日
国連委任統治領邦島1919年10月29日
再独立1958年9月19日
自由党による新秩序1973年11月18日
通貨 円 (NRY)
時間帯 UTC +12(DST:なし)標準時は平原縣由真村
ISO 3166-1 NE/NRE
(ニジェールはNJ)
ccTLD .ne

概要

邦島國はオセアニア[1]に位置し(N40,E180)、邦島列島および日高諸島からなる立憲君主制国家。首都は新都市。人口は約850万であるが、およそ年3%の単調増加を続けている。

気候は四季の変化に富み、国土の多くは山地で、人口は沿岸の平野部に集中している。国内には行政区分として13の都道府県があり、蓬莱民族・日高民族の人々などが居住し、事実上の公用語として日本語が使用される。

内政においては、産業革命後の1803年に邦島帝國憲法を制定し立憲国家となった。その後1919年から植民地化され、再独立後の1959年には国民主権、基本的人権の尊重、独立路線を謳う現在の邦島國憲法を施行。先進国の一つとして数えられており、世界での影響力を徐々に拡大させている。外交においては、被植民地化の反省から、非依存国際協調主義および拡大主義を採っている。

国内に資源が少ないため、主要産業は加工貿易。先進国になっていくにあたって人件費が高くなってきてからは、IT技術やロボットなどをフル活用し、人件費を抑えることで工場の海外移転を防いでいる。

また日本・アメリカとは植民地支配された歴史的経緯から1984年までは国交がなく、険悪な緊張関係が続いた。文化的・経済的交流が緊密になった今でも日本・アメリカの人や文化は好きだけど、政府は嫌いという人も多く、領土奪還のためアメリカと戦争をすべきだという政党もあるほどだ。

 邦島は日本国の伊豆諸島のように、島々が離れており狭いので、水運が盛んな一方自動車を持っている人はあまり多くない。そのため、大きな島では運河が非常に発達しており、鉄道や道路網の発達は他先進国と比べて遅れている。

首都のある蓬莱諸島は大噴火を起こした火山の陥没カルデラ(マグマがたくさん出たため火口付近がくぼんだもの)の淵である。

邦島國の歴史

詳しくは「邦島國の歴史」も参照

有史以前

50万年前からプレートの境界に沿って海底火山がたくさんでき、龍羅列島(今の領土全域)ができる。

氷河期には北にあるアリューシャン列島から人が渡ってきて、魚をとって暮らすようになった。

しかし、人口が増えると近海のサカナが尽きたため、人々はより遠くの海に行く船を作るようになる。

稲作・鉄器の伝来と戦国時代

そんな中帆船が発明されたことで遠くの島にもたどり着くようになり、1439年には一派が日本(当時は室町幕府)にたどり着き、稲作や鉄器が伝わったことでより多くの人と海と耕作地を手に入れるための戦国時代が始まった。

16世紀には鉄砲も伝わり、5つの国(北から平原帝國邦島帝國鶴西首長國船渡帝國勝瀬帝國)になった状態で安定する。

五国時代

その5つの国は太平洋中に船を出し、植民地を増やしていき、右図のように太平洋中に領土を広げていく(龍羅大航海時代)。

しかしその中の1つ、邦島國は他の国ほど領土を増やせず弱かったたため、イギリスで産業革命が始まった18世紀末頃から機械に目を付け、いわゆる「加工貿易」を始める。

ヨーロッパ諸国でも産業革命が起きる前だったのでこれは大成功し、勢いがついた邦島國は他3つの国を併合して邦島諸島を統一する(龍羅統一戦争)。

大洋連邦時代(1848~1919)

1848年には国号も大洋連邦へと変更される。植民地とはいえ、支配していたのは港湾だけで他の部分は保護国としての扱いであった。

しかし激戦となった統一戦争の20年間に欧州の国々は産業革命に成功し、ロシアやアメリカも強くなり植民地を失い始める。

しかし、ハワイ戦争タガル戦争での敗戦後も、太平洋地域での覇権はいまだに変わらず、1910年当時でもアメリカの7割の国力はあったという。 製品を売るための市場を失って徐々に衰退し、その状況を打開するために第一次世界大戦で連合国と戦った大洋連邦は1919年10月に敗戦し、日本の委任統治領とされた。 先進国なのに委任統治領とされた理由は、本国であった邦島國の構造が他の植民地無しでは成り立たないものだったからだ。

日本統治下(1919~1946)

委任統治領となってからは後進国ばりの扱いを受け、かつての植民地との交易にも制限がかかったため、明日の食べ物にさえ困る市民が増えた。

第二次世界大戦では戦後の独立を保障する日本軍と共に戦うも、定期的な爆撃を受けただけで主要な戦場になることはなく、1946年2月に終戦を迎える。

終戦後上陸してくる米兵に独立派は激しく抵抗を見せるも、5月末には主要な島は全て陥落、以降アメリカの支配下に置かれることになる。

アメリカ統治下の邦島と独立戦争(1946~1958)

その後、この抵抗や陥落後も米軍に奇襲を仕掛けるゲリラなどにより、米軍と邦島人との間で不信感が高まり、自治権や独立などに向けた足取りは想像を絶するほどに遅いものだった。そのため、邦島人の一般市民によるアメリカへの反感も日に日に高まっていき、1954年ごろから始まった邦島独立戦争に勝利した邦島人は、1958年9月19日、39年ぶりの再独立を果たした。

丸川政権(1958~1971)

独立後は海人党の丸川悦男が政権を握り、邦島を強い国にすると訴え、邦島民族を殖やすという政策を掲げる。 1969年ごろからは、反乱分子で、独立戦争時に敵対した被差別部落民に対する民族浄化政策を始めた。 それの発覚より邦島は国際社会の信用を失って孤立し、貿易相手を失った邦島の経済は再び混乱した。

邦島内戦(1971~1973)

国内は丸川の民族浄化政策を支持する民族派と国際貿易の復活を掲げる実利派に分かれ、1971年12月から内戦となる。 最初は実利派がどんどん都市を制圧したものの、1972年春からは膠着した。 しかし、1973年2月から実利派は再び大規模な攻勢をかけ、米ソからの圧力もあり8月には政府・反政府勢力間で講和が行われ、9月には11年ぶりの議会選挙が行われた。 講和の条件は、民主主義的な議会を作り、虐殺政策をやめる代わりに議会に対して監視権限・拒否権を持つ枢密院を立ち上げ、丸川現首相が枢密院長になるというものだった。 選挙の結果、自由党の正木率いる実利派が大勝をおさめ、丸川たちは大敗を喫する。 しかし丸川が議会に対し、拒否権を何度も行使し、枢密院への反感が高まる。そんな中、73年11月18日、丸川は暗殺される。 その後枢密院は解体され、各党の武装解除が進められたことで自由党体制が確立される。

正木政権(1973~1983)

革命後は反米・経済成長を政策に掲げる正木毅が政権を握り、125か年計画という計画を立て、2100年までに人口を40倍の1億人、GDPを2000倍の10兆ドル(今の日本の2倍)にすることを目指し、焼け野原からの復興を図った。日米以外の多くの国と国交を結び、経済的にも順調に言っているように見えた矢先、1981年10月に建設中の原子力発電所が爆破されたが、同盟を結んでいたソ連からの支援も得られなかった。そして、83年には冷害による飢饉が起き、人口の8%にあたる25万人が餓死の危機にさらされた。

吹上政権(1984~1990)

国防と飢饉の両面で危機感を抱いた政府は、1984年、次の政権になるとすぐに日米と国交を結び(対日米電撃国交正常化)、媚びて食料援助を取り付ける。反米感情を持っていた多くの国民はデモ活動を行うものの、首謀者の多くが暗殺されることで、7か月で鎮圧された。翌年からは安い人件費と高い教育水準に魅力を感じた日本の工場が多く移転し、徐々に国内の技術発達も進み高度経済成長を迎える。同時に政府は国内の人口を大きく増やすために子育て環境を充実させ、出生率を上げる方策をとる。

高度経済成長期

これによって大量の人口増加を背景として邦島は大きく経済成長し、1975年からの40年で人口は3倍、GDPは30倍にもなった。しかし、20世紀末になると徐々人件費が高くなり、海外に工場が移転することが懸念されていた。そんな中1997年にはタイに始まるアジア通貨危機で景気が一気に悪化し、企業の倒産を懸念した政府はIT技術やロボットなどを活用し、人件費を抑えることを奨励し、補助金を出した。しかしそれにより多くの同時期にIT革命の波にも乗っかり、邦島には多くのIT企業が興った。

現在

現在の邦島は産業用ロボットに加え、東南アジアやオセアニア地域から移民を集め、安価な労働力として重宝している。邦島國の企業は人数的には中小企業が多い(ベンチャー企業が多いため)が、総じて労働生産性が高いのが特徴。

邦島國だけでは市場が小さいため、国内の各社は邦島國内でテストマーケティングをし、その後日本やアメリカの市場に進出するパターンが多い。

参考リンク

邦島國の参考文献」を参照

注釈

  1. 邦島國はポリネシア・ミクロネシアなどオセアニア地域との交流は多く、アジアやアメリカなどの他の地域には当てはまらない地域である一方で、他のオセアニア地域と遠く離れており、オセアニア地域に入れるのではなく龍羅地域というくくりの方が適切だという考え方もある。